2008年01月20日

留学まで その4

私が通う学校の先生はフランス語と英語を話すそうですが、基本はフランス語。

ということで、昨年の4月からフランス語を勉強し始め、12月にはブルゴーニュのスミュール・アン・オーソワという街でフランス語の先生のお宅で一緒に暮らしながらフランス語を勉強するというプログラムに参加してきました。
今までは「音」としか聞こえなかったフランス語がなんとか「言葉」として聞こえるようになったことは進歩ですが、とても深いコミュニケーションをとれるまでは至っていません。フランスにいるとついつい無口になっていく自分が悲しいです。

学校が終わった後は、パティスリーかレストランで研修をすることになっています。それまでになんとか最低限でも理解できるようにならなければと思い焦る自分と、でも滞在先はフランス人の家庭ですし、フランス語漬けの生活の中でなんとか覚えていくかなぁなんて能天気な自分との戦いが毎日私の中で起きています。

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留学まで その3

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ル・コルドン・ブルーでディプロムを取得し、その後 機会があれば友人や知人の誕生日や記念日にケーキを作らせて頂いていました。



あるとき、こんなことがありました。



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留学まで その2

独身の頃は実家の近くの松本市にあった料理・お菓子教室に通っていたこともありましたが、結婚後東京代官山にある「ル・コルドン・ブルー」という学校で本格的にフランス菓子を学ぶ機会に恵まれました。
「ル・コルドン・ブルー」はパリに本校があり、オードリーヘップバーンが「麗しのサブリナ」の中で通ったお料理学校として有名なところです。

通い始めた頃は色々と忙しく、学校に通う為に朝4時半に起きなければならない日もありました。しかし、それまではお菓子教室や本を見て作っていたケーキを、きちんと学校で体系的に習うことができるということがとても楽しく、睡眠時間が削られることなど全く気にならないほどでした。

学校に通ったおかげでひとつのお菓子のパーツとしてしか見ることができなかった素材や生地を、どのように応用すれば他のお菓子に使えるのかという関連性を持って考えることができるようになりました。お菓子を縦のつながりだけでなく、横のつながりでも考えられるようになったという感じでしょうか。

途中松本市近郊へ転居したため学校に通う時間が思うように取れず 通い始めてから4年もかかってしまいましたが、2007年6月、無事ディプロムを取得することができました。卒業試験では味もデザインも自分のオリジナルのケーキを作ったのですが、何回も試作を重ねたケーキをシェフに褒めてもらえた時は、本当に感動しました。

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留学まで その1

母が仕事をしていたため、姉と二人でお料理をする機会が多かったということもあるのでしょうか。
子供の頃からお料理やお菓子を作ることが好きでした。

特に母と一緒にお菓子を作ることはとても楽しく、いつも家にある粉や卵が
クッキーやパウンドケーキになることに感動しました。
兄や姉と遊びのようにクッキーを作り、オーブンから漂う甘い香りに
ワクワクしながら焼けるのを待つ時間はとても楽しいものでした。

今でこそ簡単にネット通販や近隣の松本市などで入手出来ますが
長野県塩尻市という地方都市にある私の実家では、その当時は
良質なバターや小麦粉を手に入れることはできませんでした。

しかし 母と一緒に作ったお菓子は買ってきたものよりも断然おいしく、
このときの感動が私がお菓子作りを勉強したいと思った原点なのだろうと思います。

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